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西陣と都の関係※作成中です!!! いいタイトル思いつかず...! 都というより政治の中心かな?もしくは遺跡? 西陣という地名は応仁の乱(1467年〜)以降できた呼び名ですが 便宜上使わせていただきます この西陣は幾度か政治の中心となる建物が造られたまちです 794年 平安京の中枢だった大内裏が作られました 掘れば未だに遺跡らしき跡が見つかります (1990年代にも地表から浅いところで発見されました) 中心的な建物でもある大極殿跡は、徒歩10分のところにあります ![]() 今や誰も振り向きもしない路地の奥の公園にひっそりと佇む大極殿跡の石碑 平安京は知っていてもわざわざここを訪れる人はほとんどいない 平安奠都1100年の記念に作られたらしいのですが 同じ1100年記念事業の平安神宮、1200年事業の京都駅に比べると 如何にこの扱いが小さいかがよくわかります 1586年 豊臣秀吉によって時の安土桃山時代の政庁兼邸宅として 聚楽第がつくられました わずか8年しか存在しなかった建物なので 詳しいことはほとんどわかっておらず 数カ所に残る石碑がわずかにその存在を物語るのみです 左は徒歩5分の所にある石碑です 一帯は小学校なのですが、まさに聚楽第跡に建つ小学校といったかんじです 跡の二つは徒歩10分圏内ですが、 1990年代の発掘によって特定されたため比較的新しい石碑が建っています 秀吉がつくった遺構としては御土居もあります 資料は少ないけれど、こういった目印はたくさんあります それらを可能な限り写真を用いて紹介していきます ※作成中です 調べていくうちに 如何に歴史に対して無頓着に町が作られていったかが 痛いほどわかります 歴史遺産よりも都市の発展、繁栄が重要なのは仕方がないことかもしれませんが ああ無情 |